Sustainabilityを考えてみないか?

はじめまして。高知工科大 Advent Calendar 2017 19日担当のkim ota(キモオタ)と申します。

僕、プログラミングとかそこまで詳しい人間じゃないので技術的なことはよくわからないから、専門分野の社会科学的なことを話すよ!場違い感ハンパなくってごめんね!

 

あなたはどっちのタイプ?


 

 

いきなりですが、あなたに質問です!

あなたは向社会的(prosocial)な人間でしょうか、それとも自己中心的(proself)な人間でしょうか?

唐突にこういう事を言われてもよくわかりませんよね。1つ1つ説明させてもらいますと

prosocial=他の人間や集団に対して助けを差し伸べたり、それらに対して

       役に立つ行動をするようなタイプの人たち。

 

proself=自分中心の行動をとり、他の人や集団をあまり助けないような人たち。

 

程度の差は多少ありますが、だいたいこういう意味だと思ってもらえれば結構です。

自分はどっちに分類されるのかなと考えたうえで、次の話を聞いてもらいたいと思います。

 

カツオ、どれぐらいとっちゃおうか。


 

 

非常にシンプルな社会を想定します。

ある資源、ここではカツオが120単位とれる海があるとします。あなたはこのカツオがとれる人口4人の海辺の村で生活していて、あなたはその村の一員、もっと細かくいうのであればその村で今を生きている世代の一員でもあります。

ここで生活している人たちはこのカツオを食べたり売ることで生計を立てており、カツオをとればとるほどあなたの満足度は高まります。

 

ここであるゲームを考えてみましょう。

 

あなたの世代のあとに、あなたの子供の世代、孫の世代、ひ孫の世代etc…と続いていくとします。

この時、あなたは資源であるカツオをとって満足度を高めることができますが、あなたを含むあなたの世代がとった後に残るカツオの量(120-あなたの世代がとったカツオの量)に1.5をかけたものが、次の世代に残されるカツオの量となります。

例えば、あなたの世代がとったカツオが50単位なら次の世代に残るカツオの量は(120-50)*1.5=105単位になるわけですね。

そしてその残ったカツオを元に、次の世代も同じゲームを行い、そしてその次の世代も同じゲームを行うといったように繰り返します。

 

この時、あなたは最初にあるカツオ120単位からどれくらいのカツオをとりますか。なお、どの世代も村人の人数は4人であるとし、自分がとるカツオの量はほかの村人と話し合って決めるようなことはしてはいけないとする。

 

カツオが嫌いな人は、そこに好きなものを当てはめて考えてみてね!

 

 

 そのカツオはsustainableですか?


 

 

少々ゲームの内容がややこしいかもしれませんが、皆さんは何単位のカツオをとることにしましたか。

次の世代に残してあげようと思って少なめにとった、もしくは自分の満足度を高めるためにたくさんとった。あなたの選択はどうだったでしょうか。

 

例)

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一例を示しましょう。仮にあなたを含む村人全員が15単位ずつカツオをとったとすると、次の世代のカツオの量は90単位となります。

さらに次の世代や次の次の世代がこのゲームを繰り返していき、同じように15単位のカツオをとっていくと何が起こるでしょうか。

察しの良いあなたならわかると思いますが、最終的にこのカツオの数は0を下回り絶滅してしまい、未来の世代の人間は全くこれを消費できなくなってしまいます。

 

美味しいものや好きなものが絶滅しちゃってそれを食べることができないとか嫌じゃない?

私もまるしんのかきあげぶっかけがなくなってしまったら泣いてしまいます......

 

 

つまり何が言いたいんだってばよ


 

 

この簡単なゲームが表しているものって、水産資源や化石燃料廃棄物処理などといった持続可能性の問題なんですね。

昔はたくさんあったのに今は少ししかない物だとか、今はたくさんあるけど将来は少なくなってしまう物って結構あると思います。

それは私たちが目先のことしか考えずに、自分や社会の満足度を高めようとした結果なんですよね。

特に、18世紀後半から19世紀にかけておこった産業革命後はそれが顕著に表れてきました。

じゃあ、私たちが当たり前のように消費している資源って自然に湧いてくるものなの?それともどこからか調達しているの?

 

 

私たちは未来から資源を借りている


 

 

 私が大好きな「星の王子さま」で有名なサン=テグジュペリは、同書の中で

「地球は先祖から受け継いでいるのではない、

          子どもたちから借りたものだ。」

                                                                                                                                                      サン=テグジュペリほんますこ

と言っています。これが意味していることは、私たちが消費している資源は有限ではなく未来の世代から切り崩して使っているということなのです。

当たり前のように資源を消費するということは、将来世代の未来を奪うといっても過言ではありません。

あなたはそんな将来世代の人々のことを考慮した意思決定をしていたでしょうか。それとも、今生きている資本主義の原理の元、自身の満足度を最大にするような意思決定をしていたでしょうか。

 

 

今後の社会はどうなってしまうのか


 

詳細な研究結果やデータを載せていると大変なのでここでは割愛しますが、私たちが暮らしている地域は都会と農村に大別され、都会ほどこのproselfな人々が多く農村部ほどprosocialな人々が多いという研究結果が出ています。

都会ほどproselfな人間が多い理由としては、農村部よりも都会の方がより資本主義の考え方が強いというものがあります。

資本主義という大量生産大量消費、優勝劣敗の競争社会がproselfな人間を多く生み出し、その過程でprosocialproselfに淘汰されてしまい結果として都会にはproselfな人々が多くなってしまうのです。

現在の時点で、都会と農村の人口比率は都会のほうが高いですが、農村部から都会への人口流入が原因で今後もその差は広がっていくという研究結果もでています。つまり、proselfな人間がさらに多くなってしまうのです。

資本主義にのまれた人々の意思決定は将来の人々を幸せにするのでしょうか。

 

※proselfが悪いとかprosocialが良い、資本主義は悪だとかを言いたいわけではありません。

 

 ではどうすればいいんですの?


 

 私はこの問題を解決するため、社会や集団が持続可能な選択をすることができるようなシステムを作るための研究をしています。

「proselfだとかprosocialといった個々人の性格は変えられないけど、うまいシステムを作って意思決定を変えることならできるぜ!」というわけです。

詳しいことは卒論の内容に深く関わってくるため今は大っぴらにできないんですけど、自分が打ち立てた仮説が正しいことが示されれば、持続可能性の問題だけでなくいろいろな問題に対応できるようになります。(そうであってほしい、というかそうでなくては困る。そのための研究なのですから。)

 

この記事を見ているあなたが、そんな持続可能な意思決定を意識して行うためにはどうすればよいか。

それは、自分が20年後、50年後、100年後の将来の世代の人間になりきってから意思決定をすることです。

 

 「うちら将来世代やぞ!(自分の意思決定は)

  いいのか!いいのか!そんなことでいいのか!」

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そう常に自分に言い聞かせて意思決定してみてください。

自分の好きな人やもの、推しキャラが持続可能性のある美しいこの地球を謳歌する...そう考えただけでも持続可能性を保っていく価値があるとは思いませんか?

 

 

終わりに


 

社会科学的な話ということで「ハーツマンナ」って方がいたら、それはそれで悪い気がしないこともないんですけど

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 最初書く予定のこととはちょっと違うこと書いてるんですけども、結果として伝えたいことは伝えれたから満足してます。

私は経マネなんですけど、こういうことを他学群に投げかけれる機会があるって結構良いものですね。

最初はガチガチの論文といった感じでこれの倍くらいの量があったんですけど、比較的砕けた感じで、かつシンプルにまとめることができたのではと勝手に思っています。

本当はもっと画像で伝えるべきところがあるんですけど、やらなくちゃいけないことが多くて時間が割けませんでした。申し訳ない!

 

仮にこういうかんじの記事がウケたり、一部の人からでもいいので需要があるとか言われたら来年も張り切って書いちゃうかもしれないです。

 

 こんな記事でも最後まで読んでくれてありがとうございました。